南房州漕艇記
2010年7月18日~23日 南房総
ワタクシ事ではありますが、この夏からまた西表島で働くことになった。当初は7月頭から仕事を始めるはずだったが、7月終りにどうしても都内に用があり8月からの仕事開始となったために7月という梅雨明けのゴールデンな時期を関東で迎えることとなった。
そこでせっかくだからと考えたのが地元である千葉の海を漕ぐという計画だ。 いつも通り、最初の計画では「千葉県一周!」という大それた目標をたてていたのだが、京葉工業地帯をなるべく避けたいという気持ちが強く、利根川を遡るのも何気にキツイ…、やっぱり九十九里は避けたいな…という軟派志向になりつつある僕は即座に富津岬から九十久里浜の手前、太東までの「房総一回り」という計画に切り替えた。
7月第二週目から一週間でやるつもりだったが、ご存知のように今年の梅雨明けは遅く、それどころか全国的な大雨で千葉の海を漕ぐというには余りにもハードコンディションであった。そこでズルズルと日程が遅れて行き、やっと漕げるとわかったのはすでに夏休みが始まり海が混みだす7月18日になっていた。
房総一周もこれまたどんどん距離が短くなり、結局スタートは房総富浦の原岡海岸から行ける所まで…という流れになった。
7月18日
外房の鴨川を寄る予定だったので久しぶりにセタスの笠原さんに顔を出そうと思ってブログを見ると、ちょうど18日、19日でスパークルと合同で富浦にて講習会を開いていることが分かった。これはちょうどいいとスパークルの北田さんに電話すると、合流許可を得た。夕方実家の船橋を出て、内房線で富浦駅に着いたのは夜の9時を回っていた。そこからカヤックをコロコロころがして原岡海岸まで行く。夜のキャンプ場で人を探すのは通常大変なのだが、セタスのワーゲントラックと、海岸にあるフェザークラフトのカヤックですぐに特定することができた。
この日は北田さん、笠原さん、お客さんたちとお久しぶり、はじめましてトークをしながら酒を飲み、就寝した。
7月19日
翌朝出発して、この日は洲ノ崎をまわって根本にあるキャンプ場まで行こうと思っていたが、「せっかくだから遊んで行けばいいじゃん」という北田さんの緩~いお誘いにのって午前中だけ一緒にロールなどやっていこう…と思っていたのだが、一緒に昼食を食べあれこれ話しているうちに今日もここで泊っていくかという形になった。しばらくは天気もよさそうだし、漕いでストイックに先を進むより、笠原さんや北田さん、他のフェザー乗りの人達と話をして情報交換や普段疑問に思っていたことなどを話する方が有意義に思えたのだ。
案の定、結構込み入ったフェザーやイベントなどの話も聞けてよかった。皆さんは4時ころ撤収して車や電車で帰って行った。僕は新しい場所にテントを張りかえて買い出しに行き、連日の寝不足にノックダウンして夕食作るのも面倒くさくてカップラーメンとビール一本で目蓋が重くなって撃沈してしまった。
7月20日
朝起きると意外にも風が強い。南西の風が吹き込んでおり、出発するには二の足を踏む感じなのだ。大房岬の反対側、西浜まで歩いて行き風上側を見に行くとまぁ何とかなりそうだ。予報を見ても午後には風が落ちそうなので11時、原岡海岸からk-1を出発させた。
向かい風を受けながら久しぶりの長距離ツーリングに慣れていない体を慣らしていく。大房岬の先端はロックガーデン状になっていて面白いが、風で少し時化ているうえに海士が多数潜っていて近づきにくい感じだった。沖から抜けて雀島に向かい、ここから沖の島に向けて館山湾横断に入る。
館山湾は鏡が浦と呼ばれるくらい、常に凪いでいる穏やかな海だ。この日も風が吹くもののうねりはなく、特に問題なく沖ノ島沖まで漕いで行くことができた。ただ、海上よりも沿岸に近づいた方が風が強くなり少しまいる。何しろこっちの沿岸までくれば南風をシャットダウンして凪いでくれると思っていたからだ。むしろ西風気味になってモロに向かいの風を受けながら前進する。波佐間の海水浴場に到着したときには暑さと久しぶりのパドリングに妙に疲れていた。カロリーメイトと魚肉ソーセージの軽い昼食をとり、自販機で2本ジュースを飲む。
1時間の休憩ののち舟を滑らせて本日のビックイベント、洲ノ崎を目指す。 途中、大学時代に来たことがある坂田の沖を過ぎるとすぐに洲ノ埼灯台が見えてきた。洲ノ崎は先端がなだらかに低くなっているので最先端に灯台がある訳ではないようだ。岸近くの浅場は釣り人がイシダイを狙っているので少し沖を漕ぐが、岬の先端は潮がぶつかっているのか三角波の潮筋が出来上がっており、東京湾を出入りする大型船が沖に見える。その潮のぶつかりを避けるために漁船がフルスピードで突っ込んでくるのでなかなか怖い。でもパドリング的にはそれほど問題なく無事に岬を通過。
そこから先は南房総特有の海岸線を漕いで行くことになる。見晴らしのいい低い陸に民家が立ち並び、海は遠浅のロックガーデンがかなり沖まで続いている。結構今日は凪いでいる方だが時折大きなうねりがやってくると、あり得ない場所にブーマーが出現するので油断できない。
それでも風も追い風に変わり、透明度のいい海を漕ぐのは気持ちがいい。
14時半を過ぎたころ、ロックガーデンが切れて長い砂浜が続く場所に出た。平砂浦だ。
サーフィンで有名な場所だが、僕にはヒラメとマゴチのサーフフィッシングのメッカだったというイメージが強い。また、この海岸沿いに走っている南房フラワーロードは昔、子供のころにひたすら歩かされたイメージがありとにかく長い…!というイメージがいまだに残っていた。だが実際は1時間もパドリングをしたら対岸の布良(めら)の漁港が見えてきた。
房総の漁師は昔からの漁師…というには全国的には新しい。南房周辺の漁村は主に和歌山からやってきた漁師が住みだしてできた場所が多いらしく、その名残は安房白浜、安房勝浦などの地名からもわかる。言葉も和歌山だけあってこの地域だけは関西弁に近い言葉で他の上総や下総の千葉方言と異なっているらしい。そして食べ物も南紀に似ており、外房の和田浦で捕られるクジラもそうだけど、この布良の名物は冬に作られるウツボの干物である。ウツボを食べる習慣があるのは主に黒潮流域の地域に限られるそうだが、特にこの干物はその典型だ。冬ならばその干物が干されている光景をみたくて上陸したかったが、この日はスルーして先に進む。
この布良周辺から沖合にかけては長く根が続くらしくかなりの好漁場として知られているのだが、案の定布良を過ぎて根本に行く途中、潮がぶつかって複雑な流れの場所に出くわした。こういう場所では岸際の方が流れが緩いので岸ベタを漕いで行くのだけど、このときとんだハプニングが僕を襲った。 暑いので波をかぶろうがなんだろうがスプレースカートを開けて漕いでいたのだけど、その潮のぶつかりを避けて海藻の生えている浅場を漕いでいると、突然左肩に何かがぶつかった。
「うわっ!ナンダ!!」
そうビビっていると、今度はコクピットの中で何かがバタバタ暴れだした。
「と、トビウオッ!?」
西表島を漕いでいて、飛び出してくるサヨリを叩き落して食べてやろうとか何度も考えたけど一度も成功例はなく、偶然とれることもない。サヨリとか、ボラとかがカヤックに激突することは何度もあるけど、カヤックの中に入ったためしはない。それがよりにもよって外海にいるはずのトビウオがこんな岸寄りで飛び込んできたことにビックリしてしまった。
潮の荒い場所を漕ぎ抜け、やや安全な場所に来てから見てみると、トビウオの尻から卵が漏れており、どうやら産卵のために藻場に集まって来ていたようだ。体長30センチほどのアヤトビウオ。胸鰭に模様があるきれいな奴だ。すこしホクホクした気持ちで目の前にある根本の砂浜に16時ちょうど、上陸した。
キャンプ場は23日からのオープンらしく、まだシャワーの水は止められていてゴミ捨て場を業者が作っている段階だった。日焼けで顔がヒリヒリして真水を浴びたかったのでちょっと参ったが、トイレの水は出るので顔くらいは洗えた。カヤックを潮上帯まで引き上げてクーラーをもって県道にあったセブンイレブンの看板に誘われて歩いて行く。「次の信号を左に曲がるとすぐ!」みたいな事が書かれていて、つい向かってしまったのだが、たいていこういう場合、「次の信号までの距離が問題だな…」という話なのだ。案の定、4キロも歩いて目的のセブンイレブンに到着した…。
ここでもろもろの買い物をし、アイスクリームを食べて一息入れる。4キロも歩いてきたとはいえ、日本というのはどこでも同じ銘柄のものが買えるコンビニというものがあり、いつでもやっているというのが非常に便利な国だなと思う。ワンピースを立ち読みしながら「これじゃ、本当のシーカヤックは日本ではできんな~、相当コンビニの存在に負けない精神力が無いと…」と、一人うなずいていた。ちなみに僕にはそんな精神力はないようです…。
再び4キロ歩いてサンダルずれを作って帰ると、最高の夕日が待っていた。
落ちていたビーチチェアーを広げ、テントサイトからその風景をビール飲みながら見るのは至極上等な時間だ。
海からの贈り物、トビウオを刺身にして食べる。エビのようにねっとりとした身質で新鮮なので美味い。卵もゆでてこの日はレトルトのカレーだったが、それにぶち込んで食べた。キャンパーも全くいない訳ではなかったが、静かな浜辺で一人寝るのは悪くない。日が沈んでしばらくしたら、もう眠くなっていた。
7月21日
6時起床。ボーっとした頭で海岸を見ていると、朝から何人か散歩している人達がいる。日の差しかたが変わった景色を写真に撮っていると、海岸を歩いている一人がこっちを向いて近づいてきた。
「あれ、誰かと思ったら赤塚さんじゃないですか?」
よく見るとさっきから自分の目の前にいたのは『シックスドーサルズ』の藤田さんだったのだ。
藤田さんはウミガメの産卵調査をやっているために毎朝この周辺を回っているようなのだが、まさにこんなドンピシャで出会うとは思わなかった。
「ちょうどそのテントサイトの下に、前に漂着したマッコウクジラが埋まっているはずですよ」
ちょっと小高くなったハマヒルガオの覆うそのテントサイトは確かに他の場所に比べて異質だったが、そういう理由があったのかと考えてみるとちょっとファンシーな気持ちになった。人の死体が埋まっている上にテントを張ったと思うと恐ろしいが、クジラが埋まっているという場所にテントを立てていたという事実はちょっと悪い気はしなかった(人間的考え方で言えばクジラに悪い気もするが)。
藤田さんとは2年前の東京海洋大学の実習で同じ非常勤講師を務めたことで知り合ったのだが、ちょうどその実習が今年もこの日から行われるのだった。そんな話をして僕も後日顔だけ出しますよ…ということを伝え、その朝は別れた。
朝食を食べ、トイレを済ませると出発は7時45分だった。
外房は上げ潮は北に、下げ潮は南に潮が流れると聞いていたし、風も昨日と同じく南が吹いていたので追い風、追い潮という好条件に恵まれてグイグイとカヤックを進めていった。後日別の海岸から僕を発見した藤田さんは「すごいペースでしたよ」と教えてくれた。
野島崎には30分ほどで到着し、その沖を遊覧船のお客さんと船頭さんに見送られて通過する。野島崎も僕の中ではヒラスズキのポイントとしてのイメージが強い。
カヤックを始める前。まだ高校生だった頃。
通学途中、うまい具合に目の前の席が空くと、座ってしまって寝ることが多かった。気付くと学校のある駅は通り過ぎていて、時間も10時近かった。そして車窓から外を見ると山々の間から海が見えた。そういう景色を見てしまうと学校嫌いだった僕は急いで戻る気にもなれず、そのまま電車に揺られて内房線、外房線で房総を一周し、部活のある放課後だけ学校に行くということが多々あった。たまに気に入った駅に降りて風に乗ってくる潮の匂いをかぐのは僕にはたまらなく気持ちよかった。
何度も車窓から海を見ていると、自分が行ったことのない海岸や港を見かけることがある。そういう場所に行きたくて、竿を振りたくて、自転車で千葉を一周してみたいなと思ったことがあった。高校2年生の時に部活のない週末限定でバイトをしてやっと稼いだお金でジャイアントのクロスバイクを買った。
だけど自慢の自転車は盗まれてしまい、その夢を実現することはできなかった。
房総の海を旅する…。自転車か、カヤックかはともかくそれが僕の最初にやりたいと思った旅なのかもしれない。
野島崎を越えると風をさえぎる沖磯が連なり、その風裏で休むと、透明度がよくて気持ちがいい。手を入れると何故か驚くほど水温が低い。今年はこの時期外房に冷水塊ができていて、人から聞いた話では19度しかなかったようだ。内房でロールをやるにはちょうどいい水温だっただけにこの水温差には驚いた。
その後も黙々と漕ぐ。乙浜港の沖を過ぎ、千倉の巨大な港を過ぎて海水浴場に着くとちょうど10時だった。凪ぎの海にサーファーがぷかぷか浮いていた。こんな波じゃ彼らを満足させることはできないんだろうけど、僕にはちょうどいい凪ぎだ。コーラを飲みながら水着のお姉さんとちょっとお話をし、30分ほどで出発する。
南房の海はそれほど海岸線が見ごたえがあるというものではない。山も低く、人工的な建物が常にある。それがホテルにしろ、民家にしろ、漁村にしても。そして何よりの特徴がかなり沖にまで遠浅の海が続くことだ。見えている磯などはそれほど沖にはないのだが、ちょうど頭が出るかでないか…という根が、かなり沖にまで続いており、急激に深くなっているということが無い。岸が砂浜であっても、沖には岩の根がごろごろしていて、海藻が踊っているというのをよくカヤックの上から見ることができる。
そういう危険な海のためか、それとも海士がポイントを探るためか、沿岸からかなり沖に何本か朱色の旗が竹にささってブイ代わりに浮いているのをよく見る。それが根の位置を知らせる指標なのか、なんなのかはよく分からないが、この沖に浮かぶ旗印と遠浅の突然ブーマーが起こる海というのが、この海域の風景のようだ。
千倉海岸を出ると、海岸は砂浜が多く見ることができる。たまに磯場に出るが、どっちにしても海底は変わらずところかまわずブーマーが現れる。比較的凪いでいるこの日でさえそうなのだから、うねりの入る時化た日など相当沖まで出ないと漕ぐことはできないだろう。
2時間ほど漕いで12時にクジラで有名な和田浦に到着。
「日本の快水浴場100選」にも選ばれているという和田浦の海水浴場に到着した。和田浦港から浜に至るまでの磯場にはたくさんの海士さんが泳いでおり、それらを避けて漕ぐのが大変なほどだ。海水浴場のすぐそばまで貝を拾っていた。
「うぉー、なんだそりゃー!!」
海水浴場はロックガーデンに守られており、その岩の上から子供たちがこちらを見て叫んでいる。砂浜に上陸すると彼らが駆けてきて僕を取り巻いてきた。どこから来たのからはじまり、どこに行くの、ひっくりかえらないの?など、定番の質問がやって来てそれにいちいち応えるのが子供だと楽しい。遊泳区間に上陸してしまったため、ライフガードがやって来て、出艇するときは気をつけてくれと忠告しにきた。御苦労さまだ。聞くと日体大のライフセービングクラブのようで、千葉県沿岸の海水浴場のライフガードはほとんど日体大関係者らしい。
予定では駅の近いこの和田浦で旅を終わらせようと思っていたのだが、予定よりもかなり順調に漕いでこれてしまったのでもっと先まで行くことにした。駅前のコンビニで昼食とビールを買い、海に戻って食べた。
海岸でコーヒー牛乳を飲んでいるとさっきのライフガードの先輩らしき青年が近づいてきて、カヤックについていろいろ質問してきた。ライフガードもサーフスキーなどの競技があるのでカヤックには興味があるようだ。僕もライフセービングの話を聞いて、なかなか面白い話ができた。大学4年生の彼はさすが日体大といった筋肉と肌の黒さで、是非シーカヤックをやりなさいと勧めておいた。
女子で全国3位というサーフスキーの女の子を紹介してもらったが、そろそろ出発しないと根が張りそうなので1時間ほどの休憩ののち、出発した。
そこから先も似たような風景が続き、とにかく凪ぎに凪いだ海をひたすら漕いで行くと、ゴールに決めていた太海にある仁衛門島が見えてきた。この島は個人所有の島なので上陸には金がかかる。櫓で漕いだ船に乗って渡る観光地で有名だがもちろん上陸はしない。外側をまわってもよかったが、島との水路を通りぬけると鴨川が見えた。時間的にはまだまだ漕げそうだったが、駅から近いところで舟をあげたかったのでまわり込んですぐにある太海海水浴場に上陸し、14時45分、旅を終えることにした。
カヤックをばらし、乾かしている間に駅に向かい、電車の時間と最短コースを把握しておく。カヤックとキャンプ道具を引っ張って歩くのはかなりしんどいのでこの作業は何気に重要だ。海の家で生ビールでも飲もうかと思ったが、もう店が閉まってしまい仕方なく生ぬるいビールで我慢した。
カヤックをパッキングし、汗だくになったところで海に飛び込んだが、さっきも書いた通り、水温がめちゃくちゃに低くて息が止まるかと思った。よくこんな水温で子供は遊べるなと感心してしまった。そしてビール飲んで泳いだら、死んでしまうとも思った。
シャワーを浴びてさっぱりしたのち、手首がつるんじゃないかと思いながら必死になってカヤックをもって坂道を上がり、駅にたどり着いた。この日は親父の住む那古船形まで行き、親父の家に泊まることに。思いのほか親父と話が盛り上がり、身内と飲んでいるにも関わらず飲みすぎた…。
7月22日
出発予定時刻に合わせて親父が起こしてくれたが、正直酒が残っていて頭が痛かった。
5時に起こされて田舎特有の大量の朝食をごちそうになってからカヤックを転がして海に向かう。親父がキャンプ道具を運ぶのを手伝ってくれたが、親父の家から海は結構遠くて出発予定地に着いたころにはすでにクタクタになっていた…。朝の強い日差しの中犬の散歩をする住民にじろじろ見られながらカヤックを組み立て、近くの自販機でジュースを飲みながらなんとか組み立て終わる。浜にカヤックを下しパッキングをすると親父に見送られて大房岬に向かって漕ぎだした。
鹿児島出身のうちの親父は集団就職で高度経済成長期前の東京に15歳のころにやって来て、それからいろいろな仕事を経て30代半ばに自分で事業を始めた。定年退職した今は会社もたたみ、こうして房総の片田舎に住んでいる。
もともと釣りや魚獲りが趣味な人で、子供のころは舟で沖に漕ぎだし、さで網でイワシを獲ってカツオ漁船に売るというアルバイトをしていたほどの人だったが、自分で畑を借りて野菜を作るのも好きな人で、それら野菜を使って加工品を作るのも好きという、とにかく自分で何かをやるのが好きな自給自足を地で行く人だ。その試行錯誤の失敗作を食べさせられるのも大変だったが、実際年を追うごとに野菜も加工品も上等なものになっていき、大根やそれで作るたくわんなどは立派なものだ。
房総に住む前は瀬戸内海の島に住みたいとか、定置網のある漁村に住みたいとか言っていたが、結局のところ通いなれた房総の海に落ち着いたらしい。
こんなことを書くと「さすがお前の親父だな、血は争えないな」などと思う人もいるだろう。だが親父は東京に来てから仕事を辞めるまではほとんど仕事人間だった。週末に一緒に釣りに連れて行ってもらったり、キャンプに行ったりしたことはあるが、圧倒的に自分の時間を費やして仕事をし、働いている。今の一人で房総に住んでいるというのもその反動だと思う。自分の好きなことをできなかった親父だから、息子には好きなことをさせてくれている。
そんな親父が黙ってカヤックを組み立てるのをながめ、出発する僕を見送った。
鏡が浦は字のごとく鏡のように凪いでおり、風紋一つない海面を滑るようにカヤックは進む。沖に出るとナブラがたち、ピチピチと跳ねるイワシの群れがカヤックのすぐそばを通り抜けると大量の魚影が舟の下に映しだされた。急いでルアーをつけた竿を出してキャストするが、何も釣れなかった。
べた凪の海はしばらく続き、大房岬にたどり着くと岸ベタを漕いで先端に向かっていく。南房を漕いでいたわけだが、この岬が一番面白味があるように思える。ましてやべた凪の「勝手にシュノーケリング」状態の海では大量の海藻と光のコントラストがマッチして、そこを泳ぐメバルやスズメダイ、キヌバリなどのハゼがカヤックの上からも丸見えで非常に面白い。ロックガーデンをすり抜け、海士さんに挨拶し、漕ぎ抜けると富浦湾が見えてきた。もっと早く来る予定だったが寄り道が過ぎた。
時刻はまだ8時30分である。釣り具屋に行って氷を買い、ジュースを買いためて浜に戻ると再びカヤックを沖に向かって漕ぎだす。
7月に富浦湾に来たのならば、やはりキス釣りでしょ!カヤックからのアジは大変なのでキスに絞るのでポイントは岡本川の河口沖が最高である。ここのあまり沖すぎない場所がキスの数釣りができるポイントだ。オンショアの風なので沖に漕ぎだしては流して釣り、再び沖に出て流す…ということを繰り返した。
19日に買ったジャリメがまだ元気だったのでこれを使いきるまでやったのだが、釣り具屋とかの情報では「釣れないな~」とか言われていた割にはあたりが続き、2時間で20匹位釣れた。久々にキスの引きを味わって僕としてはこの上なく満足したのだった。
午後からは南無谷海岸にあるソルティーズにいって新しいPFDを購入し、その後東京海洋大学の実習に合流して根本で会った藤田さんをはじめ、ソルティーズの山本さん、内田正洋さん、当実習の担当の田村先生、千秋先生などに挨拶し、夜に再び会うことに。
翌日23日は午前中だけ実習のツーリングに便乗し、途中で別れて浜に戻り、カヤックを分解して富浦駅から家路についた。
関東近郊の海は釣りや潜りでよく行っているのでそれほど土地勘が無い方ではない。だけどカヤックで漕いだことがあるかと言われれば、正直僕はあまり漕いでいないようだ。シーカヤックを覚えたのは沖縄県の西表島だし、関東で漕ぐにしても三浦や葉山周辺が相場だった。そんな僕にとって、千葉の海を漕ぐ事が出来たのはなかなかノスタルジックでよい思い出になった。
それにやはりカヤックを漕いで海から見るといろいろと発見もあるものである。漕いでみて一番納得したのは、房総が潜り漁の絶好の漁場だということだ。あれだけ遠浅の海が続くというのは、アワビやサザエの漁場としては最高のフィールドである。確かに時化ると陸に近づきにくくて厳しい海ではあるけど沿岸漁師にとっては豊かな場所だと思う。
伊豆のようなダイナミックな地形、三浦半島のような身近な感覚はないけれど、房総の海は質実剛健な海だと思う。大洋を感じる海だ。そんな海が東京のすぐそばにあるのだから、本当に海が好きな人なら千葉は満足いくフィールドだと思う。
次は太海から太東かな~。