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⑫甑島カヤック一周記

 202271日、バジャウトリップは10周年を迎えることになった。
 前々から10周年時には海外遠征ツアーを考えており、それに向けて参加者にもそんな計画があることを伝えていた。場所はNew Zealand北島に浮かぶGreat Barrier Islandを考えていた。
 同時に「バジャウトリップ」という屋号を名乗っている以上、漂海民バジャウ族の元に行ってカヤック旅がしたいという夢もあった。その海域をずっとオープン当初から探して考えていたのだが、2019年頃からその具体的なフィールドが定まってきてそこを目標に遠征を計画していた。
 2009年に行ったNew Zealandでの個人遠征以降、海外はもちろん個人でも遠征と呼べるようなカヤック旅はほぼしていなかった。バジャウトリップというショップの事業の方向性を探るのが一番で、ツアー会社としてのツーリングで満足しており家庭も出来て個人遠征を行う余裕も考えもなかった。しかし八重山諸島を中心とした海域のマンネリズムにやや辟易していたところもあり、瀬戸内カヤック横断隊の参加や他の地域でのコラボツアーは良い刺激になり単調な商業ツアーにならないためのカンフル剤になっていた。だがそれでも次第に物足りなくなって来ていた。
 やはり、人に干渉されず自分の能力をフルに使う遠征をしたい。
 この10年は先輩や仲間、後輩と共にカヤッキングを行う事が多いものだった。その殆どはあくまでツーリングであってカヤックの技術があるもの同士、遊びで漕ぐ…というものや講習、ワークショップのようなものばかりで、それはそれで楽しく後輩の育成という意味でも重要なものだったのだが、何か満たされないものがあった。
 New Zealandへの海外遠征ツアーはバジャウトリップを支えてくれたお客様たちへの還元ツアー的な目的で商業ツアーの一環としての働きだったのは否めないが、バジャウ族を求めてのインドネシアへの旅はまさに久々に行う個人遠征の第一歩であった。
 ところが。
 2020年初頭からの新型コロナウイルスの拡大に伴って海外遠征の計画は頓挫してしまった。
 
 このコロナ過の想いは色々あるのだが、だらだらと序文が長くなってしまうのでざっくりと端折り、とにかく海外に行けないけど10周年で何かをやりたいけど、どうするか?を考えた。
 そこで浮かんだのが、西表島と正反対の北端に位置する野生のフィールド知床半島。このフィールドは僕にとっても思い入れが強い場所で、「知床expedition」の新谷暁生さんがまだ現役でガイドをやっているのも背中を押した。
 僕のカヤッキングにおける何人かいる師匠の一人とも言っていい新谷さん。
 このタイミングで知床expeditionに参加するのは意味がある事だと思った。当初は参加者を顧客から募り、バジャウトリップのツアーとして参加するつもりだったが、途中で考えが変わった。仕事という枠から外れ、しっかりと個人として知床expeditionに向き合いたくなったのだ。
 周りにそんな話をすると意外にも来年参加してみたいという人が結構いることがわかった。20221月から知床expedition事務局と連絡を取り、3月頃毎年知床に参加している知人と偶然地元のスーパーで会い、そこから同伴する方向で連絡を取り合いながらスケジュールを調整していった。だが、こちらも遠方の離島でツアーを行っている以上お客様もフライトの予約等で早めの対応を求めており、撮影コーディネイトなどの大きな仕事もあってなかなか良い落としどころが難しかった。
 結局一緒に参加しようと言っていた方々と僕、そして知床expeditionの開催スケジュールが上手くいかず、僕は7月の開催日程に合わせる事ができなくなった時点で諦めざるを得なかった。8月は台風のリスクの中長期間家を空けるのが不可能で仕事もあり、リミットを7月までと決めていたのだ。
 
 この知床遠征と同時に友人のフリーダイバーたちが鹿児島県甑島へ長期滞在するので一緒に行きませんか?というお誘いもいただいていた。知床が最優先だったので、最初は断っていたのだが、知床が難しくなった今、甑島という場所は僕の食指をくすぐるには十分なフィールドだった。
 20157月に僕は甑列島の上甑島に行ってカヤックを漕いでいる。
 だがこの時は悪天と台風に見舞われ、上甑島と下甑島の少しの区間しか漕いでいない。先輩二人と漕いだ甑島は楽しかったが、カヤッキングとしては物足りなさをかなり感じていた。いつかリベンジしたいと考えていた島だ。
 鹿児島の西約40㎞沖合に位置し、東シナ海に浮かぶ甑列島は黒潮がぶつかり海流、潮流の影響も強く、冬は大陸からの北西風をまともに受けるため海岸は荒々しい断崖絶壁が続く。そのため上陸地はかなり限られる。上甑、中甑、下甑をつなぐ列島の海岸線延長は183.3km。カヤッキングを行うには申し分ない島である。
 カヤックガイドが仕事をするハイシーズン7月。この時期10日間の休みをもらい僕は鹿児島県甑島へと向かった。目的はもちろん甑島をまわる事だったが、最重要課題は前回漕いでいない下甑島をまわる事。遠征と呼ぶには大げさだがソロでこの島を23日で廻る計画を立てたのだった。
 

725

 西表島からは朝一の高速船に乗り石垣島へ。そこから空港に向かい、LCCで福岡まで飛ぶ。その日は糸島のSouthern Works松本さんのお宅にお邪魔し、翌日博多から新幹線で鹿児島川内まで向かった。川内駅からはシャトルバスが出ており川内港までほぼ一本で行ける。甑島へは川内港から高速船、近隣の串木野港からフェリーが出ており今回は高速船で上甑島の里へと向かった。朝610分の新幹線に乗れば850分発の船には間に合うので10時前には甑島に着いてしまうのだ。速いものである。
 上甑島里港では友人の野口君が娘さんと待っており、僕を迎えに来てくれていた。
 今回は上甑島にある一棟貸しの宿を野口君たちが借りているのでそこをベースにさせてもらい、天気や海況を見てカヤック旅をスタートする。宿は海の目の前にあるのでそこでカヤックを組み立て、ぐるっと甑島を一周する予定だった。
 到着当日は彼らと海を潜りに行き遊び、久々に会う人も多かったので夜は酒飲んで過ごし、翌日25日、いよいよ出発となった。
 出発地は結局上甑島の中甑漁港の近くの公園からとした。前回、やたらとビバークでお世話になった海浜公園である。今回は下甑島を漕ぐのがある意味本命だったので、宿のある里の西の浜から北端の射手崎をまわり込んで東海岸を南下するのは、2015年に二回も漕いでいる沿岸なので出来れば端折りたかった。逆に西側沿岸は風光明媚な絶壁があるのでまた漕ぎたいと思っていたので中甑漁港から出発して中甑島、下甑島をまわり、上甑島の西側を北上して里に戻る計画にした。初日の出発時間が遅くなったのもあるが、これが一番腑に落ちた。
 野口君に車で送ってもらい、中甑のスーパー「ポップワン」で買い出しをして公園で降ろしてもらった。公園には7年前と同じくビバークに使った屋根だけの東屋があり、カヤックを組み立てるにはお誂え向きだ。炎天下の下カヤックを組むのはそれだけで体力が削られる。
 カヤックは毎度おなじみのフェザークラフトK-1。さすがに購入してから15年ほど経っており、かなりハードに使っているので船体布は紫外線でボロボロになり、フレームもところどころ腐食や劣化が目立つようになってきた。直前でグランストリームの大瀬さんにメンテナンスを頼んでいたがそれでも完全には補修が間に合わずところどころ応急処置を済ます。しかし元が良いのでその辺のファルトボートよりは信頼感はある。
 快適にカヤックが組み終わると買い出しの時に買った総菜を食べ、いよいよ出発となった。
 1230分、出発。
 今回の日程は予報で見る限りとても海況が良いものだった。まず不安要素はなかったが、後半からやや風が上がる予報だったので上陸地の少ない西側から先に南下し、最南端釣掛埼をまわって東側を北上、再び中甑島の西側に移ってそのまま上甑西側を時計回りにまわり込んで里に戻る計画だ。
 ベタ凪の湾内を漕ぎ進めると最初の難関、甑大明神橋をくぐる。ここは細い水路になっており潮が逆だとけっこうしんどい。何より通過する漁船が結構なスピードで通過するのでタイミングを見誤るとたいへんなことになる。瀬戸内海でこういう場所は慣れているのでエディ(反転流)を利用しながら無事通過。中島の西にある岬から沖合を漕いで中甑島黒崎を目指す。
 前回2015年に漕いだ時はこの辺りに滝が流れ落ちていて、上陸してその滝を浴びたのが印象的だった。大雨の後の前回と違って今回はあるか疑問だったが、行ってみると黒崎の手前に前回同様同じ風景が目の前にあった。先を急ぎたい気持ちがあったが、せっかくだからと上陸。うねりもなく上陸は砂利浜に容易だった。少々の段差をよじ登り滝の水を浴びる。
「おぉー!甑島、帰ってきたな~!!」
この滝の水を浴びて、あの時の記憶がバチっと戻ってきた気がする。水量もそれほど変わった気はしないので比較的水量が安定した場所の様だ。カヤック組み立てでかいた汗がさっぱりと流され、気持ちの良い再スタートを切る。
 この先はいぜんとは違う。馬乗崎を越えると目の前には以前には建設途中だった甑大橋が完成しており、中甑島と下甑島を曲線を描きながらつないでいた。その橋はくぐらず、橋下の潮流帯を避けるように沖合を通って下甑島円崎に向かって漕いで行った。それでも流れてきた海水が複雑な地形にぶつかってか、複雑な潮流帯がカヤックの進路を揺する。潮流波はそれほどないのでパドルでグイグイと漕ぎ進み、パワーで乗り切った。
 ここから先は未知の領域だ。ここまでは前回の布石があったがここから先は自分には初めての海岸線である。不安と共にどんな美しい海岸線が待ち構えているのか楽しみでしょうがない。
 甑島のカヤッキングにおいてもっとも魅力的で最も危険だとされているのが下甑島西沿岸である。鹿島断崖、金山海岸、ナポレオン岩などの風光明媚な断崖や岩が見られると同時に、漁港や避難港も少なく冬の荒海を物語るように砂浜はほぼない。陸路からも離れている場所が多く緊急エスケープ場も少ないので条件が合わないとかなり危険な海域ともいえるのだ。潮流も早く、ナビゲーション能力は勿論のこと、パドリングの力量も十分必要な場所と言えるので安易に商業ツアーで人を連れてくることが困難なフィールドと言える。
 まさに知床半島を彷彿とさせる自然の厳しさと美しさを兼ね揃えたフィールドなのだ。
 漁船などは多く走っており、磯の沿岸を歩いて行けば人の住んでいるところに行けるといえば確かにそうなのだが、そんなことは当てにせず人の生活が見える所と言えども自分の身は自分で守らなければならないのが海が最後のバックカントリーと言われる所以である。
 最低限の情報とソロという状況で漕ぐ自分には最高の好敵手に思えた。
 実際、下甑島に移るとそれまで以上にうねりの大きさを感じた。何が遮っていたのかわからないが、円崎をまわり込み、楽しみにしていた鹿島断崖に出ると沖からの大きなうねりが藺落浦(いおとしうら)に反射し、写真を撮るのをためらわせるほどカヤックを揺らした。外洋の影響を強く受けて凪の状態でもこれならば、少しでも風が吹いたりすればすぐに荒れてしまうのは容易に想像できる。だがその荒々しい風と波によって削れた岩礁帯は見事な造形美を造っている。
 甑島の地質のほとんどが西表島と同じ堆積岩で、西表島の八重山層群が新生代にできた地層なのに対し、甑島は中生代白亜紀後期、約8000万年前のものと言われている。その砂岩と泥岩のミルフィーユのように堆積した地層が見事に両断され削られており、その断面、それが波風に浸食された海蝕岩が奇岩としてものすごいスケールで目の前に現れるのだ。これには圧倒されるばかりであった。写真を撮りまくるためになかなか進めない。
 1440分頃、池屋崎のすぐ手前あたりに巨大な塔のような岩が二つあり、その間がちょうどカヤック一艇が入れるようだった。うねりも弱いのでその中にスルスルと入っていくと、小さいながらプライベートビーチが現れた。こういうカヤックだから入れて遊べる場所を事前情報なしに見つけるのが面白いのだ。カヤック海岸探検の楽しみともいえる。
 穴があったら入れそうなものは入り、高低差のある崖には真下まで行ってスケール感を味わい、写真を撮りながら漕いでいると砂利浜がぼちぼち現れてきた。時刻も1530分を過ぎビバーク地を探し始める頃だ。久しぶりのガチ漕ぎをずっと続けていたせいか、それとも暑さによるバテ気味なのかこの日は早めに切り上げたかった。
 由良島が正面に見える大崩浜(うぐえはま)に上陸。東側に大きな川が流れ込んでいるが、西側にわずかながらの流れ込みがあり、そのふもとにテントを張ることにした。背後に山が迫る無人の浜である。人工物は海浜ゴミ以外見当たらない。上陸して周辺探索をするが特に目新しいものはなく、すぐにテンバ予定地に戻る。カノコユリが咲き乱れてきれいだ。ほのかにユリの花の匂いも漂う。
 流れ込みは多少土が岩に張り付いているが水自体はきれいで何より冷たくて気持ちがいい。砂利を掘りだして溜まりを作る。最初は濁っているが次第に水が澄みだして顔や物を洗うにはちょうどいい水場ができた。
 流木はいっぱいあるのである程度大きめのものをあらかじめ集めておき、あとは周辺から適当に拾う事にする。こういう浜は焚火集めに苦労しなくていいのでありがたい。西表島とは違う砂利浜でキャンプができるという、かなりマニアックなところで嬉しがっている自分がおかしい。
 日が暮れるまでは時間があるので、手銛を持って目の前の海に潜る。
 ゴロタが砂地に続いて行く感じでかなり遠浅。由良島まで行っちゃうんじゃないか?と思えるほどだった。浅い所にはデバスズメダイやネンブツダイが群れており、時折巨大な魚が現れるかと思うとアオブダイやハマフエダイがこちらをチラチラ見ながら泳ぎ去っていく。あまり魚が集まるような良いポイントは見当たらないので、ゴロタの下にいるアカハタを一匹突いて陸に上がった。
 今夜はアカハタを半身刺身にしてそれをアテに酒を飲む。その間、もう半身は串にさして焚火で塩焼きにした。ハタって煮つけとかみそ汁、マース煮なんかが美味しいけど、意外に塩焼きもイケるのである。
 じっくり焼いたアカハタの白い身をはふはふ言いながらかぶりつき、口の中が魚の旨味で包まれたころ、芋焼酎をキで「くいっ」とあおる。アカハタの皮のゼラチン質でべとついた唇がキリっと洗い流される。
 旨いねぇ。鹿児島に来たねぇと独りご満悦。
 見知らぬ海でカヤックを漕ぎ、海を潜って魚を獲り、それを食べながら野宿して旅をする。「バジャウトリップ」というのはそんな漂海民のような生活をしながらカヤッキングをすることを目的に考えた旅のスタイル名だったのである。なんか、独りでそんなことを味わっていると原点回帰というか、少しだけ自分が本当にやりたいことが思い出されてきた。
 

 

 

 

 

 

726

 翌朝、530分には目を覚ました。不思議と宿酔はない。
 あまりにも気持ち良かったので一人でビールを5缶も空けてしまい、翌日の分がなくなってしまった。明日は買い出しに行かないとなぁと思いつつ、氷がある冷たいうちに飲んでおけと勢いよく飲んでいたのを思い出した。
 フライを張らずメッシュのみでテントを張り寝ていたので、なんか微妙にベトベトする。確かに朝起きると山の上には雲があり、しっとりとした空気に包まれていた。ただ、その霞がかった山稜が朝日を浴び美しい。
 昨夜のアカハタの食べ残しを煮て作った味噌汁に米を入れて雑炊を作り、それを朝食とした。
 640分出発。ツアーではのんびりと起きてもらい、ゆっくり出発するのだが、一人だと仕事も早いし朝の涼しいうちに移動したいのでおのずと早めスタートとなる。
 ここから先の断層が非常に素晴らしく、雲が張り付いた山頂の幽玄さも相まって素晴らしい景観が広がった。スタート直後から写真を撮りまくっていたので全然進めなくて困ったものだ。
 赤崎(実際、赤い岩だった)から先はとにかく岩山が急峻であり、絶壁が続くのだが奇岩が多く飽きない。けっこう長い洞穴もあり、時々その中にも入っていった。そしてところどころ谷からは川が流れだして滝になっていた。霧がかった山、断崖絶壁の岩肌、流れ落ちる滝。まるでフィヨルドだ。New Zealandのミルフォードサウンドを思い出し、そして知床を思った。
 そう思いながらカヤックを漕ぎ進めていると、地図を見ていた時から気になっていた内川内の滝が視界に入った。
 なんという大瀑布。
 海からこんなにはっきり見られるなんて!この谷筋からの吹き下ろしなのか、海風のものなのか、山肌の木々が風紋のように一定の方向に伸びて不思議な模様を作っている。どれだけ強い風を受けているのかが垣間見られる。
 それにしても想像以上にものすごい迫力ある光景が次々に現れるので感動を通り越して動揺してしまう。内川内の滝はあまりにも迫力があるため、次は是非陸からエントリーして直に見に行きたいと思えるほどの美しさだった。
 そして内川内を越えると今度は名勝金山海岸に出た。
 多数の岩の島が乱立し、別名松島海岸ともいわれているらしく松が生えており、宮城松島を彷彿とさせる。バームクーヘンのような縞模様が入った巨大な岩の島が乱立している様は、まるで海の上にゴーレムが多数立っているようにも見える。実に見事な海岸だった。
 巨大な岩の壁に感嘆しながら漕ぎ進めていると、突然前方が開けて沖にどこか見たことがある島が見えてきた。甑島のシンボル的な島であるナポレオン岩(チュウ瀬)だ。高さ122mもあり、横から見た姿がナポレオンの横顔に似ているからこの名がついたらしいが、右から見ても左から見ても、そして正面から見てもそれっぽく見えるのはさすがである。ちなみに西表島にあるゴリラ岩も左右どちらから見てもゴリラの顔に見えるが、正面からはさすがにただの岩である。
 ナポレオン岩に着いたのが810分頃。出発して一時間半。写真を撮ったり、遊びながら進んでいる割には良いペースである。ここで少し海上休憩をしたのち、瀬々野浦の集落に近づいて行く。この集落を守っている防波堤の基部に鷹の巣という島があり、そのふもとにローソク岩というまっすぐに伸びた岩が乱立している。船でなく陸から海を見て撮ることができる奇岩で、甑島を知るきかっけとなった写真もここで撮られたものだと、現地に来てわかった。
 ここから片野浦に向かうまでの海岸も素晴らしく、ちょうど太陽が山影からこぼれ始めた時だったので、雲を透かして入ってきた光がひじょうに幻想的で神々しい。時々振り向いてその光景を見ながら漕ぎ進めた。
 飛瀬をまわり込み、片野浦の漁港奥の浜に上陸。財布を持って集落を探索するが山間に作られた小さな集落でとても寂しい。休憩がてら10分ほど歩くと自動販売機を見つけたのでそこで冷たいジュースを飲み干しカヤックに戻った。キャンプ場があって何艇かカヤックが置いてあり、僕が出艇準備をしているとフィッシングカヤックをカートップした車がやって来たりしていたところを見ると甑島の中でもカヤックをやるには良いところの様だ。実際地形も良いし、潮も当たるので良い魚が釣れそうである。
 950分出発。ここまで来ると下甑島南の集落、手打も射程範囲内である。
 下甑の西端にあたる早崎をまわり込むと、それまでの赤地の岩やバームクーヘンのような地層模様の岩に混じって真っ白な岩の塊が目立ってきた。おそらく花崗岩だとは思うがあまりにも白いので石灰岩かと思うほどだ。島をぐるっと漕ぎまわるにつれて岩肌の模様が色々変わっていく様はこの島ならではの面白さではないか。
 シーカヤックは海の遊びのイメージを強く抱かれるジャンルだが、マリンスポーツというよりは海から陸を見るアウトドアスポーツだ。沿岸を漕ぐことで陸からでは知り得ない岩礁の美しさに注目し、ジオ的な視線が得られるのもシーカヤックの楽しみ方の一つだと思う。
 海底にも白い花崗岩があるせいか、このあたりの海の色は素晴らしく、潮が当たっていることもあると思うが白地に群青の海水が美しく、その上を漕いで行くのは沖縄のカヤッカーと言えど見惚れるほどだ。
 だが、今までのような複雑さが地形になく、ただダイナミックな岩肌が続いているので、うねりの大きさも相まってあまり撮影せず、この区間は黙々と漕いで行った。早崎から二っ張、野崎とまわり込み、大串小串の海岸を見てビバークできそうかをチェックし(ガイドの癖でついついツアーをする場合の上陸地をチェックしてしまう)、いよいよ最南端、釣掛埼をまわり込む。思ったような潮流の激しさはなく、うねりの中を漕ぎ抜けて岬を回り込んだとき、山の上に灯台が見えた。
 釣掛埼を過ぎると沿岸は意外にも遠浅になり、純白の花崗岩を見ながら手打湾へと入り込んだ。それまでの岩礁帯とはうって変わって内海の穏やかさが牧歌的で、砂地の上にカヤックの影が見える。
 1145分、手打上陸。だだっ広い手打海岸のどこに上陸するのが一番効率良いか?こういう時に今まではいつも自分のカン任せに上陸していたが、最近はスマートフォンでグーグルマップを見れば自分の位置と商店の位置がわかるので凄く便利だ。便利がゆえになんか裏技を使ってしまった背徳感は拭えない。個人的な意見だが、さすがにこの感覚がなくなったらガイドはできなくなるな…と思う。野生の感は野外にしろ都会の中にしろ、磨くことは必要だ。カヤックのナビゲーション能力はGPSに頼っていては退化する一方である。しかし、道具の進歩も要領よく使えた方が効率は良くなるはずだ。言い訳ではない(笑)
 おかげで最短ルートでAコープまで歩いて行き、冷たいビールと氷、今夜の酒のあてと昼食を購入することができた。カヤックまで戻り、総菜コーナーに売っていたカツサンドとサバの南蛮漬けを食べると体を少し動かして体操をし、すぐさま出発した。
 手打の浜(地名)はくびれていて、地図上では繋がっているが実は水路で反対側につながっている…という事がよくあるのでそれを期待していたのだが、護岸された沿岸に水路らしきものは見えずショートカットの目論見は外れてしまった…。仕方なく津口鼻をまわり込み反対側に抜ける。ぐるっと反対側の港にまわり込むのに40分かかった。
 下甑島の南側は断層というよりは赤い岩と白い岩のミックス帯になっており、これはこれで迫力ある岩礁帯であった。基本的に岩は縦に亀裂が走っており、高低差のある細長い岩が乱立するような形状になっているのが見事だ。突き出た瀬尾崎のあたりは特に迫力があった。
 この瀬尾崎(せびざき)をまわり込み、湾内に入ったところに瀬尾の港がある。ここに流れ込んでいる川に瀬尾観音三滝(せびかんのんさんたき)がある。この滝に歩いて行ってみたいと思っていたのでどのくらい歩いてかかるかわからなかったので急いでいたのもあった。ところが海から漕いで行くと、正面の谷にこの滝がはっきりと見えた。写真で見たのは森の中っぽかったので「え?あれ!?」と、思ったが、あとで知ったのだがこの滝は上にもさらにあったのだった。
 河口の砂浜に上がり道路に出ると滝はすぐだった。ジリジリとした炎天下の中、貴重品とカメラだけ持ちアスファルトの道を隣接するキャンプ場方面に歩いて行くと森の中に入った。明らかに空気感が変わり冷たく湿った空気があたりを包んだ。
 林道の突き当りに観音様が祀ってあり、正面にカーテンのように白滝が流れ落ちていた。向かって右手には大きなアコウの樹がありそれがこの島も黒潮の影響を受ける南国の島であることを物語っている。
「いい滝だなぁ」
 そう思いながら観音様の祠の上を見ると階段があり、滝の上に行けそうだ。数枚滝の写真を撮ると階段を登ってうえに上がってみた。カヤックを漕いでいると無性に歩くのが楽しくなるのが不思議だ。思いの外急登の階段を上がっていくと上の滝が目の前に現れた。あとで調べたのだが、この滝はこの上の滝から一の滝、二の滝とあり、三の滝と三段続いているようでちょうど55mあるという。西表島のピナイサーラの滝の行程さと同じというから覚えやすい。先ほど海から見えたのはこの一の滝のようだった。
 満足して下の段に戻ると、管理人さんらしきおじさんが一人掃除をしていた。滝の写真を撮っていると話しかけてきた。何でも以前プロの写真家の方が来て、「このアングルで撮ると右のマングローブ(違うけど)が構図に入らずに撮れるよ」と教えてくれたらしく、確かに滝を全体的に撮る事ができた。しかし自分の使っているレンズはかなり広角なのであまり関係ないのだが。素直に撮っていたが、「この木がなければこの滝が前面に出て良い絵が撮れる。切ってしまった方がいい。ここの滝は金になるぞ」と言っていたというのが気になった。全国で観光名所を巡って写真を撮っている人らしいが個人的には非常にいけ好かない。何しろ僕にとってはこのアコウの樹の存在感の方がこの滝を引き立たせているように思えたからだ。確かにこの滝は素晴らしいと思うがありのままで良いと思う僕には写真の構図のためにこんな木を切り倒すという発想をする人間の気が知れなかった。
 そんな話をするとおじさんも共感したのか、子供の頃の話をしてくれ、この滝の上にある林道を開通する際、とても大きな広い一枚岩があって当時よくそこで遊んでいたらしい。森の中から突き出たその岩の上に立つととても眺めが良かったそうだ。その岩をダイナマイトで破壊して道を作ったというのだ。そしてその林道は海岸沿いにトンネルができたために現在ではほとんど使われていない旧道となり、今もあの岩があれば有名な観光名所になったのになぁと悔しがった。
 高度経済成長期を経てバブルになる手前の時代に生まれた僕は、すでに多くの自然環境が破壊された日本で生まれ育った。今でこそ自然保護や環境保全などが叫ばれているが、昭和の初めまでは今以上に素晴らしい自然がいたるところに存在していたのだろう。その自然の破壊の恩恵があって今の豊かな社会があるとは思いつつ、このような話を聞くと妙に寂しい気持ちになるのである。そんな素晴らしい本来の自然を見てみたかったという羨望はもちろん、昔の自然を知っている自然好きな大人はどんな絶望を抱きながら今を生きているのか…。
 その気持ちを託され未来に期待された世代としては胸が苦しくなる。
 この甑島での海旅はあまり人に出逢うことなく、黙々と漕ぎ進んできたのだがこのおじさんとの会話は非常に思い出深いエピソードになった。
 カヤックを泊めている砂浜に戻り、海旅を再開する。
 瀬尾から青瀬の沖合はずっと砂地が続いており、かなり遠浅の海だった。揺らめくエメラルドグリーンの海にカヤックの影が見える。釣りの中でもシロギス釣りが好きな僕にとってこの砂地はかなり魅惑的で「やっぱりキス釣り仕掛けももってくればよかった」と後悔するには十分な砂地だった。
 時はすでに15時をまわっていた。もうあと少しで前回のゴールとなった長浜の港に着く。今日はその手前にある入江の中にある浜でビバークしようと思っていたが、海況は依然として最高だし、翌日に里に戻ることを考えるともう少し漕いでおきたい気持ちもあった。
 予定していた浜はこじんまりとしていたが前日と同じく沢が流れ込んでおり流木も多く快適そうだ。ただ潜って遊ぶには遠浅でなにか物足りなさを感じた。何より何故か濁っている。上陸してしばらく迷った末、やはり出発することにした。
 長尾鼻を越えて長浜崎に着くと一気に長浜湾を横断して標高426.7mの小田山に向かって漕ぎだした。すでに日は西日の装いになりチリチリと顔を焼く。海は穏やかだったが、逆に凪ぎすぎて海峡横断は単調だ。こういう時は無心になってパドリングマシーンと化すに限る。パドルにいかに水を効率よくキャッチさせ、そして逃がすかを考えながら色々フォームを変えつつ漕ぎまくる。
 かなり遠く正面から高速船が長浜港に入ってきたが、進路が予測しづらく沖に向かって漕いだり途中でとまってみたり横腹見せてみたりしてアピールするがどっちに向かってもこっちに向かっている気がして次第にイライラしてきた。おそらく船の船長の心理としては何か気になるので見に来ていると思うのだが、動力船が向かってくる焦りは只事ではないので正直やめてほしい。変に凪より波がある中一方的にこっちが避ける方が安全な気がする…。案の定、高速船はある程度近づくと急に旋回して進路を変えていった。やれやれだ。乗客がこちらを見て「なにあれ、危ないわねー」みたいな顔をしているのが見える。別にこっちは好きで高速船に近いポジションにいるわけではないのだが…。
 変にペースをかき乱されて疲れが出てきたころ、尾山の鼻にたどり着き、ロックガーデンの中を縫うように漕ぎ抜けて北上していく。西海岸に比べて東海岸は漁船が多く、カヤックのすぐ横を漁船や釣り船が通り抜けていく。それほど大型船ではないのでたいしたことはないが曳波が気になる。
 小田山は海に向かってそのまま落ちており断崖絶壁がひたすら続く。確かに迫力あって素晴らしい海岸が続いているのだが、さすがに疲れが出てきており上陸を望んでいた。
 にごりが浦の手前にある名もないゴロタ浜に上陸。1650分到着。活動時間11時間以上と思えばなかなか漕いだ一日だった。
 この浜もなかなか素晴らしく、浜中央に沢が流れ込んでおり、少し濁ってはいるものの冷たくて潮を落とすには十分気持ちがいい。きれいさっぱりしたものの、やはり海が気になって銛を持って一時間限定で潜ることにした。
 昨日と違ってここはしばらく沖に出ると急激に深くなり、落ち込みにはかなり大きな岩が点在している。イシダイがいたので狙ってみたがここのイシダイは結構擦れているのかあまり寄ってくれない。岩陰を探りながら潜っていると、多数の大きな魚影がホバリングしているのが見えた。
「ヒラスズキの群れだ!」
 あまり大きくはないが5070㎝ほどのヒラスズキが僕の存在に気付くとゆっくりと一匹ずつ消えていった。急いでゴムを引くが後の祭りである。久しぶりに出逢ったヒラスズキのシルエットの余韻に浸りながら海をさまようが、けっこうな流れが出てきたので魚は獲れなかったが引き返すことに。沖縄では見ることのできない魚を多数見られて、まぁそこそこ満足はできた(獲れていれば大満足)。陸に上がると1830分をまわっていた。急いでテントを張る。今夜はちゃんとフライも張ることにした。
 テントを張り、マットを敷いて寝床を作るととりあえず落ち着く。保冷バックからキンキンに冷えた缶ビールを取り出し、まずは乾杯。人力なのに野外でこんな冷たいビールが飲めるのがカヤック旅の良いところ。ガスストーブで薩摩揚を焼き、それをアテに飲む。南九州の甘口の醤油が実に合う。
 夕焼けの黄昏の中、一人慰労会を行っていると目の前の海に次々と漁船が集まってきた。ある一定の間隔と距離を持って船は泊り、集魚灯を煌々と照らし始めたのだ。最初は沖にある定置網の仕事に来たのかなと思っていたが、あまりにもたくさん集まってくるので最後の方はまるで漁船に包囲されているような状態になってしまった。何とも落ち着かない…。
 すっかり日も落ちたころ、焚火の下に埋めて置いたトウモロコシを取り出して食べる。西表島に来てからすっかりやらなく(できなく)なったが、この焚火の下の砂に皮付きトウモロコシを埋めて作る焼きトウモロコシが旨いのである!適度に焦げ目が入り蒸されたトウモロコシは余計な水分が飛んでとても美味い。久しぶりに食べるトウモロコシは格別であった。
 依然として漁船に包囲されている状態だったが、こちらに特に興味もなさそうだったのでそのまま焚火をし、星空撮影などしていた。やたらと明るい集魚灯のおかげで完全な暗闇とはいかないが、これはこれでご当地の雰囲気があっていいし、山に光が当たって写真的には面白い。
 数枚写真を撮った後、就寝した。
 


 

 

 

 

 

 

 

727

 530分起床。ちょうど東の鹿児島本土から朝日が昇ってくるのが見えた。昨日はガスッていて対岸の鹿児島本土は見えなかったのだが、太陽のシルエットで山が見える。思いの外近くにあるようだ。海は恐ろしく凪いでいる。朝焼けで海面が飴色に輝いている。しばらく朝日を眺めてからコーヒーを淹れた。
 テントを撤収し、朝ごはんは昨日の残りの冷や飯でお茶漬け。さくさくと作業を行い、カヤックを漕ぎだした。
 昨日と同じ630分である。
 毎度この出艇時にはビバーク地を見返してしみじみとした気持ちに浸ってしまう。名残惜しいというか、それまで知らなかった場所が自分の知っている土地になり、そこを離れる寂しさというか。良いテンバとはそういうものだ。
 ここからにごりが浦、ミタレと素晴らしい海岸が続く。前回甑島に来た時もこの辺りは下甑も漕いでおり、台風のうねりで近寄れなかったもののその造形美に驚愕したものである。西側もそうだったが、下甑島の北側沿岸の岩石は断層がくっきりとした縞模様になっていて美しい。西表の断層は層にそって削れたり折れたりしているが、甑島の断層は縞模様を残したまま直角に、つまり縦に岩が割れているので複雑な形になっている。時間が経っているせいか硬質でその鋭利さもカッコいいのだ。その岩と岩のちょっとした間に植物が生え、カノコユリが咲き乱れている様は実にこの島固有の風景と言える。
 ベタ凪の海を順調に漕ぎ進めていると藺牟田(いむだ)の港に出た。ここはフェリーの発着場でもあるし前回は海上保安庁の巡視船の通過に手こずったので今回も警戒していたが難なく通過できた。
 平瀬崎にたどり着くと、山肌に上へと上がる道があることに気づいたので入江の奥にある浜に上陸した。どうやらそこは鳥ノ巣山展望所へ行くルートのようだ。カノコユリが咲き乱れる草原を突っ切るような階段を登っていくと、甑大橋とこれから向かう島々がよく見えた。眺めももちろんいいのだが、草原に咲き乱れるカノコユリが見事だ。野生の百合とは思えない色鮮やか百合で、時折漂ってくる花の匂いがたまらない。何よりこんな絶景を自分一人だけで見ているのがあり得ない気がする。
 甑島は西表島の僕が見ても素晴らしい所だが、西表島以上に人が少ない。行くところに行けばいるのだろうけど観光客がそれほど見当たらないのが良い。穴場とはまさにこの島のためにあるような言葉だ。
 十分絶景を堪能したのちカヤックまで戻る。良いことばかり書いているが実はメチャクチャ暑くて、炎天下の中階段上って降りてをしているのだから当然である。スタート前にスノーケリングをして体温を下げてから出発する。沖縄と違って海水が冷たいのが気持ちいい。
 さぁ、ここからはまた海峡横断をして中甑島へと漕ぎ渡る。甑大橋の真下をトレースして漕いで行くことも考えたが、この橋は間にある瀬を利用して作られているのでとにかく潮が速い。ちょうど潮が流れ始める時刻なので疲れるだけである。岸沿いに橋の下をくぐり、ある程度行ったところから馬乗崎目指して一気に漕ぎ上がっていった。
 潮の流れを多少期待していたのだが、あまり気にすることもなく馬乗崎到着。来る時は海峡横断に気を張っていたから気付かなかったが、この岬の岩肌も独特だ。今まで見なかった黒地の岩で、白い岩が時々垣間見れる。今までの岩がバームクーヘンという例えを使うとしたら、この辺のはブラックチョコレートにホワイトチョコレートが挟まれているといった感じだ。
 そんな岩に見惚れていると、ミサゴがカラスに追われている場面に出くわした。西表島でもよく見る景色だが、ミサゴはかなり大きな魚を捕まえておりなかなか飛ぶのが大変そうである。よく見ると30㎝はあるだろうメジナを掴んでいた。西表島でもそのくらいのチヌを掴んでいる時があるがメジナというのが何とも甑島のミサゴらしい。ちなみに最近物忘れが激しくてミサゴという名前がとっさに出てこなくて15分くらい「何だったっけな~??」と思い出しながら漕いでいた…。英語名Ospreyはすぐ出てくるのだが(笑)
 黒瀬まで漕ぐとそこからは一気に上甑島の境瀬をめざして漕ぎだした。
 普段僕はなるべく陸沿いに漕いで行く癖があるのだが、これだけ凪だとさすがに沖合を漕いでも不安にはならない。永遠と穏やかな海面が広がる海を漕ぎ進んでいくのはとても気分が良かった。
 前回は漕がなかった浦内湾。今回は漕いでみようかと思ったが、ここを漕ぐにはあまりにも時間が中途半端だ。後日ここだけ漕ぎに来ることも出来そうだったので今回も寄るのはよした。また中甑島の東海岸もまだ漕いでいないのだが、何故か気乗りせず西側を漕ぎ上がってしまった。下甑島から一気に中甑島の南端、弁慶島に漕ぎ上がることも考えたが鹿子大橋かまた甑大明神橋をくぐるのも嫌だったので諦めてしまった。僕はどうもコンプリートせず、ちょっと未練を残す癖があるらしい。浦内湾と中甑島の東側はまた来た時用に残しておくことにする。
 上甑島境瀬に到着すると少し休憩。相変わらずワイルドな岩礁帯がそそる一帯だ。前回漕いだ時、この上甑島の西側がひじょうにダイナミックな地形が見られて面白かったのが印象的で今回もぜひ漕ぎたかった。特に休憩で立ち寄った浜で潜った時のアカハタの数が異常だったのが記憶に残っており、あわよくば潜っておきたかった。
 境瀬からスミラ瀬、橋掛、掛平瀬までの区間はひじょうに素晴らしい景色で、白と黒の縞模様のある絶壁が見事で、ところどころ狭い水路や通り抜けられる洞窟などあって楽しめた。ただ、以前来た時に比べてがけ崩れをしている場所が多く見受けられ、もう少し絶景ポイントが続いていたような記憶があるのだが、思い過ごしだったのかもしれない。
 1045分、チキリ浦の滝が流れ落ちているゴロタ浜に上陸。前来た時に潜ったのもこの辺だったと思う。ちょっと早かったが朝も早かったので昼食もかねてここで休憩する。滝を浴びるにはけっこう岩を登る必要があったので崩れ落ちないように慎重によじ登り、水を浴びる。遠くから見るとけっこう立派な滝だったが、寄ってみると岩に張り付いてやっと水が当たる程度だった。それでも甑島の沢の水はヒヤリと冷たく気持ちがいい。炎天下、潮まみれになって漕いできた身にはシコタマ気持ちが良い!
 冷水を堪能すると海に入る気も失せてしまい、カヤックに戻ってそのままラーメンを作って食べた。
 それにしてもいたるところにカノコユリが咲いている。模様の綺麗な岩肌にこの赤紫のドット模様と白地の百合の花の組み合わせがたまらない。ついつい写真に収めたくなるのだが、メチャクチャ密に咲いている場所はごくわずかなのでフレミングが難しい。もう少しした方がさらに咲き乱れるのかもしれないが、以前来た時に比べればよく鑑賞できている。この花は本当にこの島のマスコットだなと海を旅して海岸線を見てきた僕にはそれがよくわかった。
 1140分出発。もうここまで来られれば里は射程内だ。
 ここから先断層はそれほど美しくなく、よくある海岸の崖が続いているといった感じだ。代わりに水平線の奥に陸が見える。方角的に天草あたりだろうか。そこからは沖に常に陸が見て取れて九州がすぐ横にあることを教えてくれる。これだけの好条件であれば海峡横断も悪くないだろう。
 時折ロックガーデンが現れるが今までと違って予報通り風が少し出始めて遊ぶにはちょっと難儀する。しかし北西の風なので追い風で進むにはありがたいものだった。
 しばらくすると展望台が見えてきた。長目の浜を見下ろす田之尻展望所だ。ここを過ぎると右手にはずーっとゴロタ浜が続き、このゴロタ浜が長目の浜で、奥には池があるのが確認できる。これが海鼠池だ。浜に上陸し不安定なゴロタの上を歩いて行くと確かに池が見えた。
 この先海鼠池、貝池、鍬崎池、山を越えて須口池と池があるのだが、行けば行くほど淡水になり、手前の海鼠池は海水の池らしい。名前の由来は長崎の大村湾から持ってきたというナマコが放され、今も生息して一部の漁業者によって採取されているという。この池たちはかなり特殊な構造で生息しているバクテリアなども珍しいものらしいが、詳しいことは各自で検索して調べてください。
 ここから先は追い風を受けて一気に漕ぎ進んでいく。今までの凪が嘘のように強い風が吹いており、向かい風じゃなくてよかったと独り思いながらダウンウィンドーでサーフィンしながらペースを上げる。
「途中で撮影したいから、ゴールする時は連絡ください!」
 写真家でカメラマンでもある野口君から連絡が入っており、現地報告の連絡を入れているのだがなかなか応答がない。あれよあれよと里の西の浜のすぐ沖、テトラポットの裏にまで来てしまった。
 連絡がないのでそのまま砂浜に上陸。誰かしら浜で待ってくれているものと思っていたが、いるのは見知らぬ家族連れの母子だけだった。
 14時ちょうど。里、西の浜到着してしまった。
 浜に上がりカヤックを置いて正面の集落に歩いて行くと、すぐ目の前に泊まっている「凪の里」がある。誰かいないかと思って玄関から入ると炊事場でちょうどw君が魚の鱗を剥がしているところだった。
「あ、あれ!?もう帰ってきたんですか??」
「野口君知らない?写真撮りに来るって言ってたんだけど…」
 結局野口君が戻ってきたのは20分後くらい。普通に買い物に行っていた。この何とも緩い空気感が彼の特徴である・・・。
 その後ゴールするところを写真撮りたいと言ってw君が写真を撮ってくれることになり、まさかのテイク2で再びカヤックに乗り、ゴールするっぽい絵を撮ったのはここだけの話である。
 なんともグダグダな展開だったが、まぁ無事に帰ってこれたので良しとしよう。
 


 

 

 

 その後僕は皆と一緒に宿に泊まりながら過ごし、29日の朝の便で島を出た。台風の影響が出る可能性があったので野口君たちも出発を早まらせたので一緒にフェリーで串木野に渡り、そのまま親父の家がある隼人まで送ってくれたのだった。
 
 前回は7月の頭に来たこともありまだ梅雨の尾を引いていて雨が多く、台風の通過によりかなり条件が限られていた。そのことを踏まえなるべく条件が良い時期を狙って今回は7月の後半にしたのだが目論見は命中し、実に好条件でツーリングをする事ができた。好条件すぎて物足りないくらいの遠征だった。
 シーカヤックは凪であればどこの海を漕いだって水の上だ。寒かろうが暑かろうがやることは一緒である。だがいったん波が出て、うねりが入り、風が上がってしまうと表情は一転する。そのギャップが激しければ激しいほどカヤッキングのフィールドとして優れているのかもしれない、自然の振れ幅を知るという意味では。
 だから今回の甑島は自分の能力をフルに使うカヤッキングができたかといえば、物足りなかったのは致し方ない。しかし甑島という稀有なフィールドを存分に味わう事ができたカヤッキングではあった。
 それに遠征をしていた20代の頃とは違って体力は落ちている。経験と状況判断の物差しはあの頃に比べれば格段に増えて落ち着いて状況判断することもできるようになったものの、無理はできない体や社会的立場にもなっている。
 何か挑戦的なことをやるというよりは自分の身の丈(能力、技術)を常日頃から意識し、それを若干ながら打破するような事ができれば良いのではと思う。その繰り返しが自分の実力を上げるのであって、他人から見て凄いかどうかという自己顕示欲はもうほとんど今の僕にはない。自分にしっかりと向き合ったカヤッキングやアウトドアスポーツを常日頃行っていれば自分に与えられた課題はおのずとわかる。その課題をクリアにしていく過程こそホームではないフィールドで行う、エクスペディション(遠征)だと思う。
 そういう意味では今回のカヤッキングは自分のこれからのソロ旅を考えればいいウォーミングアップになったのかもしれない。
 
 一緒に知床に行こうと言っていた友人知人は各自で知床エクスペディションに今期参加できたようだった。彼らの土産話を聞いたりSNSで見たり、メールで知らせを聞くと羨ましい以外の感想がないのだが、将来のことで路頭に迷っていたあの頃と違って僕にも多少なりにも社会的役割ができて、そんな中タイミング悪く参加できなかったというのはそういうタイミングなのだろう・・・と、思うしかない。
 パドラーはよく別れ際に「keep paddling !」というが、シーカヤッカーにとってそれはただ単にパドルを水に入れる行為のことを言っているのではない。
 Kayakingを、つまり「海旅」をし続けるという事だ。
 カヤックガイドとして仕事でパドリングだけをするのではなく、あくまで海を知る、知らない海を旅する「kayaking」を行い続ける。
 「漕ぎ続けるために」
 今でもアリューシャン列島に遠征に行っている知床のガイドは著書にサインと共にそう書いてくれた。
 漕ぎ続けるためにはどうすればいいか?それが若い時の自分の最大の課題だったと思う。その結果、僕は西表島でのガイドという生業を得たのだが、仕事として漕いではいるがそれが自分のkayakingなのかといえばすべてではない。
「keep paddling」するかどうか、それは昔も今もこれからも自分次第だ。