①Milford sound
2009年1月20日
ニュージーランドという国に何故行こうと思ったのか?
これまで色々な所にブラブラしている僕だが、当てもなくその場所に向かうということはなかなかなく、どちらかというと自分の中で目的があってその土地に行くことが多い。数少ない海外旅行の目的地であるアラスカやカナダなども、高校生の頃から行きたかった場所であり、星野道夫さんや野田知佑さんの本による影響は否めない。
しかしニュージーランドに限ってはそれほど思い入れもなく、南半球に行くのならば南米大陸の方が興味はあった。
色々な理由はあるにはせよ、とっかかりというか、きっかけになったのは、やはりある一冊の本だった。
友人がニューヨークに行った際、現地の本屋で「これはbajauに読ませたいと思って」とお土産に買ってきてくれた本があった。
Jonathan Hansonの「Sea kayaking(Outside Adventure Travel)」という世界中のパドリングフィールドが紹介されている本で、それを読むと世界にはこんなにも素晴らしいカヤックフィールドがあるのかと感嘆し、写真を見ているだけでもうっとりとしてしまう(日本やアジア諸国がないのが気に喰わないが…)良書だった。
その中でニュージーランドを紹介する項目があり、その中の一枚に注目すべき写真があった。深い入り江。そこから一気にそびえる槍のような山…。まさに雲をつんざく様なその山のある風景は、異様さに満ち、ただならぬ雰囲気を発していた。読んでみるとマイターピークとある。それが海抜0mから一気に1600mまでそびえるフィヨルドの景観の一つで、ニュージーランド最大の国立公園フィヨルドランドの中にあるミルフォードサウンドだった。
「ニュージーランドにも、こんな所があるのか!」
僕はどうも、氷河とそれによって削られた土地、フィヨルドという景観が生理的に好きらしい。氷河によって削られた山肌を見るとクライマーでもないのに「良い山だな~」と見入ってしまうし、そのダイナミックな地形が日本にはない風景であり、何より岩と雪の風景の中にじわりじわりと侵入するかの如く森が形成されている構図、色彩感、荒涼感、遷移のまだ進んでいない生命の誕生する感じ…が好きなようだ。
後で当地に来てからわかったのは、ここにはミルフォードサウンド以外にも素晴らしいフィヨルドが散在しており、ダウトフルサウンドやダスキーサウンドなど、手付かずで原生の自然が残る素晴らしいフィールドがあった。そしてミルフォードサウンドに限っては車で行くこともでき、遊覧船もある観光地だということもあって、どうせカヤックをやるならダウトフルサウンドの方がいいのではないか?という意見ももらった。
確かに僕はダウトフルサウンドにも行きたかった。実際行くことは考えたのだが、ことの詳細は後に書くとして、まず兎にも角にも、ミルフォードサウンドにカヤックを浮かべてみたかった。そう、ここに行ってみたいと思ったのが、ニュージーランドに行こうとした最初の一歩だったからだ。
■
2009年1月19日。南島南部にある山と湖に囲まれた街、クイーンズタウン。ここのバックパッカーを後にした僕は車で100㎞ほど行ったテアナウ湖のほとりにある小さい街、テアナウに向かった。この街はニュージーランド最大の広さをもつ国立公園、フィヨルドランド国立公園の窓口的観光都市で、夏になると毎年多くの観光客がやってくる。その多くがこの国立公園内にあるトランピングコースを歩くためだ。
テアナウ湖の北端からミルフォードサウンドの手前、サンドフライポイントまで歩く「天国への散歩道」とまで謳われるミルフォードトラック。また、クイーンズタウン北西部からミルフォードサウンドにテアナウから向かうミルフォードロードの途中まで、山岳地帯を歩くルートバーントラック。テアナウから最も近く歩いて出発地まで行け、空を歩く様な山の稜線をなぞっていくコースがあるケプラートラックなど、有名かつ素晴らしいトランピングコースがあり、この街ではそのガイドツアーを取りつけたり、それ以外のアクティビティーを楽しむことができる。
しかし、そんな観光客とは相反し僕はひとりDOC(Department of Conservation=日本の環境省みたいな所)のビジターセンターに行ってここ最近の天気予報を確認すると、そそくさと独りミルフォードサウンドに向かって車を走らせた。
正直、金がなかった。
北島のオークランドを出てから北島の東海岸の沿岸線を舐めるように走らせて南島に渡り、ネルソンで自分のカヤックを受け取ってからは南島の東海岸を南下、クライストチャーチでそれまで一緒に旅をした女の子と別れる頃には軍資金は底を尽きかけていた。
「働いて、金を作ってから漕ぐか、とりあえず漕いで仕事を探すか…」
迷った末、夏の短い時間も限られており、天候の急変しやすいフィヨルドランドにおいてそれほど荒れていない現時点でやってしまった方が良いと思った僕は強行する。しかしその後仕事がありつけるかもわからないし、どうなるかもわからない身で、のうのうとカヤックなど漕いでいていいものなのか?という不安もあり、妙な心境で誰も前を走っていないきれいな道路を時速100kmですっ飛ばしていた。
一番ミルフォードサウンドから近い街テアナウからでも、119㎞も離れている。まさにミルフォードサウンドに行く為だけにあるこの道は、勿論その名もミルフォードロードといい、ニュージーランドの道としてはしっかりとしたアスファルトで覆われたちゃんとした国道だ。法定速度が100㎞のニュージーランドでは、日本では考えられないスピードで公道を走ることができる。しかし、そのくらいスピードを出しても全然問題ないくらい、障害物がない。車を走らせていると、それまで開けていた風景がどんどん急な山々に覆われてくる。
ニュージーランドを車で一周した話はまた別に書こうと思うが、その中で「もう一度、走りたい」と思う道が何本かある。その一つがこのミルフォードロードだ。
国立公園に入るととたんにブナの森の中にさまよいこむ。そこを通り抜けると次第に山が急になり、くねくねとした道を走ることになるのだが、その時どきに現れる山の景色が…すごい!思わず車を運転しながら見入ってしまう…!バスなどの大型車も通るのでかなり慎重にカーブは曲がらなければいけないが、首が痛くなるくらいの急なフィヨルドの地形をついつい見てしまい、路肩があったり、川があったりするとつい車を停めて写真を撮りたい衝動に駆られる。
途中、ホーマートンネルというニュージーランドでも珍しいトンネルがあり、これを通り抜けると今度はひらすら下りになる。しかしこの急こう配も日光のいろは坂なみにひどく、しかしそのダイナミックさに息をするのも忘れそうだ。
「やってきたぞ、フィヨルドランド…!」
牧草地が多いニュージーランドの道を走ってきてこの急な山道はまるで異国にいながらさらに異国を感じてしまうほど劇的に変わる。この国の印象が大きく変わった瞬間だった。
緩やかなカーブを繰り返しながら下って行くと、ついに目的地、ミルフォードサウンドに到着する。観光船の桟橋がある手前に駐車場があり、そこに車を止めてあたりを探索する。観光用の遊歩道を歩いて行くと、目の前に有名な写真で見たことがある風景が広がった。
「ミルフォードサウンドだ…」
風が強く、オンショアの風が吹き付けてくる。海は風波が立ち荒れていたので鏡のように反射することはなかったが正面に見えるマイターピーク。それにかかる雲。見たかった風景が目の前に迫り、しばらく写真も撮らずに眺めていた。仕事をしなくてはいけない…という不安も忘れていた。そもそも一番行きたかったフィヨルドランドを目の前にして仕事を探すというのも無茶なことだった。
しばらくあたりを探索したが、カヤックはどこからでも出せそうだった。しかし道路標識に舟を出すドック、スロープのものがあったのでそこに行くと車も置くことができ、商業ツアー用のカヤックなども置いてある。おあつらえ向きのスロープもあり、明日はここからカヤックを出すことにした。
その日は再びミルフォードロードを遡りThe chasmという奇岩がある場所などを見てからどこかの駐車場で車上泊を決め込もうと思っていたが、どこも禁止とあり良いところは先約が居たりして、結局川のそばで路駐して夕飯を作った。正面に見える雪をかぶった山を見ながら朝早い事を考えて早めに寝袋にくるまった。
■
2009年1月20日。早朝にケア(世界で一番標高の高いところに住むオウムの仲間。好奇心が強くイタヅラが多い困った鳥)が車の上で暴れまわる音で起きる。あまりいい気分ではないが寝坊せずに済んだ。
車を走らせて昨日の出発地に行き、急いでカヤックを組み立てる。
組み立てているとツアー客を連れたショップの人が来て、僕を見るなり軽く挨拶をしてからタンデム艇2艇とシングル一艇でとっとと出発していった。遅れること10分ほどしてから僕も舟を浮かべた。7時半になっていた。
その日は曇り空で今にも雨が降りそうではあったが、昨日のように風は全くなく、べた凪の中カヤックを進ませていった。どことなくグレイシャーベイのバレットコブに似ている。ただ、周りを囲まれた閉鎖感はここ特有だ。潮は上がっており、干潟は水に覆われ、そこを鴨がつがいで泳いで行く。その航跡とカヤックの航跡だけが水面を割る。出だしは上々だ。
しばらくすると観光船の桟橋が見えてきて、それと同時に滝のものすごい音が聞こえてくる。ミルフォードサウンド最大の滝、Bowen fallsだ。桟橋を出てすぐに見ることができるこの滝は、手前にあるからこそ当たり前のように感じるが、十分威圧感を感じる迫力ある滝である。 その滝を後にし、沖に向かって漕いで行くと正面にマイターピーク(Mitre Peak)が見える。ただしこの日は雲が低く垂れ込んで山頂は確認できない。しかしそれが逆に幽玄な雰囲気を醸し出していてフィヨルドっぽくていい。
行きは西側を通って行くことにする。コースとしては一般の遊覧船と一緒で、入江の入り口にあるセントアンポイントの灯台まで行き、状況を見て少し外洋を漕いでから今度は東海岸を通って戻るつもりだ。応複35㎞ほどのツーリング。最初はせっかくだから一泊しようかなとも思ったが、十分一日で漕げる距離なのでワンデイとした。まぁ、これは正解だった…。しばらく絶壁の真下を漕いでもくもくとカヤックを進ませる。
マイターピークの真下までは絶壁が左手側に延々と続く。その真下から山頂を見上げると、頂上付近は木や草が生えておらず、灰色の岩壁が剥き出しになり、そこに雲がかかって、何とも幽玄だ。所々に小さい滝があり、海水に流入している。 対岸を見ると観光船が滝壺近くまで船首を突っこむっことで有名なポイント、スターリン・フォールが見えた。巨大なⅤ字型に切れ込んだ谷から155mもの落差を誇る大瀑布だ。その轟音が耳に届く。
マイターピークを過ぎ、スターリン・フォールも背後になるころ、小さい岬を越えるとフェアリー・フォールという複数の滝がなだれ落ちるポイントが見えた。
「なんちゅう、滝の多いところだここは!」
名のある大きな滝だけでなく、大小様々な滝がいたるところから落ちている。雨があまり降っていない今でもこうなのだから、雨の日にはどれだけの滝が現れるのか…!!考えると、それもそれで雨もありだな…と思った。
9時頃、滝のあるちょっとしたゴロタ浜に上陸して遅い朝食兼、昼食を食べることにした。
カヤックを浜にあげてMSRとコッヘル、ラーメンなどを取り出していた時だった。それまで気にしていなかった虫が顔の周りにちらちら現れ始め、次第に到る所にとまってチクチク刺し始めた。そう、サンドフライである。
フィヨルドランドはニュージーランドの中でもイチニを争うサンドフライの高密度生息地である。噂には聞いていたが、それまでの他の地域でのサンドフライの感じからそれほどでもないと思っていたのだが、ここは違った。異常じみている。
体が止まるとすぐにバチバチと羽音を立てた虫が集まりだしそこにたまる。僕は全身訳のわからない踊りみたいに動かしながら作業をしていたが、途中から嫌になってジャケットのフードをこれでもかとかぶり、露出部分を極力少なくして作業をすることで、なんとか通常通りの動きができるようになった。
のんびりとラーメンを食べた後、コーヒーでも飲んで周りの景色を見ていたかったのだが、現実はそんな甘っちょろい事を行っている場合ではなかった。ラーメンを食べるとスープに大量のサンドフライが浮き、どこからともなく嫌な羽音が常に聞こえてくる…。ブッシュマンという虫除け薬を顔にまで塗りたくり、急いでラーメンをすすってコーヒーを一気飲みすると、すぐにカヤックを出して沖に向かった。しばらくサンドフライは追ってきたが、海上に出ると風が多少あり、それで寄り付かなくなった。
その後、ニュージーランド・ファーシールというアシカが集団で寝ているところに出くわした。水面でクルクルと回り、遊んでいるのかと思ったが近寄っても何も反応がなく、どうも寝ているようなのだ。不思議な光景、習性である。しかしそのあたりもサンドフライが密集しており、しばらくするとすぐに離れた。
このあたりまで来ると左右を絶壁に囲まれた空間からやや外洋の影響がある海域になり、うねりが入ってくるようになった。
Greenstone pointという岬を越えると、もうそこは海だ。切り立った絶壁はよく見る海の岩礁帯になり、大きなうねりが時々ケルプの生えた巨大な岩を露出させる。所々トンネルもあり、くぐろうかと悩むが小さくて断念。Fox pointを越えると、ローリング・フォーティンと呼ばれる、南緯40度線の荒海が正面に現れる。
南島のウエストコーストといえば、マグロ漁で有名な海域だがそれは僕の中での話だろうか?ともかくそこがとにかく荒れる海だということは確かなことで、確かに沖からやってくる巨大なうねりは大海を感じさせるには有り余る。だけどこの日は比較的風もなく、穏やかで漕ぐ分には問題なさそうなのでちょっと出てみようと思った。
ミルフォードサウンドの外海からの入り口、Saint Anne point にある灯台を横目に見ながら、サラシがまく磯海を漕いで行く。波は2~2.5mといったところか。このうねりがぶつかるサーフには上陸したくないと思った。南西からの向かい風を受けて進むと、朝出会ったツアーの人達が向こうからやってきた。ガイドが僕に何か叫んだが、風が耳に当たる音で聞こえづらい。おそらく危ないから気を付けろと言ったのだろう。確かに朝と違って空は重く、フィルフォードサウンドは深い雲に覆われはじめていた。
「ま、この辺でいいだろう」
悪名高きローリング・フォーティンの海も見れたし、目的地がある訳でもないので10時50分頃、引き返す。今度は東側。Dale pointを目指して漕ぐ。
途中、先ほどのツアーのタンデム艇が沈している現場に出くわした。ガイドがどうレスキューするのか高みの見物をしていたが、なんの苦労もなくレスキュー完了。流石。しかしこんな凪の海でなぜひっくり返るのか?おそらくうねりの引く時に岩の上にでも取残されてバランスを崩したのだろう。うねりの大きい場所ではあまり岸際に行かない方が無難だ。そんな事を考えながら漕いでいると、一隻のボートがやってきて、彼らをピックアップして戻っていった。どうやら半日ツアーらしい。片道のみのツアーで、ボートでカヤックごと回収とは、さすがNZという感じだ。
東側は西側に比べてもさらに急な絶壁が続いていた。時間もお昼近くになり、多くの観光船がひっきりなしにやってきたり、後ろから追い抜いたりして、そのたびに引き波を立てていくので静かなサウンド内もこの時ばかりはえらい波立つ。
そして干潮の時間がせまっているために潮が沖に流れ、向い潮になってしまっていた。場所によってはかなり流れており、これまたグレイシャーベイでの事を思い出した。そう、フィヨルド内は潮流がポイントなのだ。しかし短い時間なので何とかパワープレイで乗り切った。
しばらく行くと、来る時に対岸に見えたスターリン・フォールが見えてきた。
ここまで来たら、ここはもう、お約束でショ!と、思って滝の真下あたりを狙って漕いで行くのだが、あまりの大瀑布に落下する時の衝撃でできる風で近寄ることができず、さらにその迫力あり過ぎる滝にとてもじゃないが下まで行こうとも思えなくなった…。
このあたりまで来るとぽつぽつと雨が降ってきた。おかげで風がないのでありがたい。このあたりのフィヨルドは昼過ぎに風が吹き、海が荒れるというのがこの時期のパターンのようで、一般のカヤックツアーの時間もそのために午前中に行われることが基本らしい。だからあまり遅い時間までカヤックを浮かべていたくはなかった。
ライオンが横たわっているように見えるからLion Mountainと名付けられた標高1301mの岩山の下を漕ぎ、海中展望台のあるHarrison coveの入り口に出た頃には時刻は1時半になり雨もかなり本格的に降ってきた。海中展望台はぜひとも行ってみたかったが、クルーズ船を利用したお客した利用することができないと思い、そう思うと別にいいかと開き直って先を急いだ。
出発した時に迫力ある姿を見せていたBowen fallsに着いたのは2時過ぎ。カヤックを降りて歩いて滝つぼの麓まで行く。恐ろしく水がきれな川が流れており、わかりきったことだがメチャクチャに水は冷たく、生命反応もなかった。雨と滝からのしぶきですぐに全身ずぶ濡れになりそうなので写真を数枚撮ってカヤックに戻った。
カヤックに戻るとき、そのバックのミルフォードサウンドは昨日や今朝とも違い、霧に包まれた幻想的な雰囲気になっていた。雨の多いフィヨルドランドではもはやこの風景の方が普通なのだろう。
出発したDeepwater Basinにあるドックに戻ったのは3時近くになっていた。当初はかなり漕がないとだめかもしれないと思っていたが、ちょうどいい時間に終わってワンデイにして良かったと思った。ちょうどカヤックを積んだトレーラーが入ってきており、並べたカヤックにパッキングをしている所だった。ツアーというよりは、どこかのクラブのような感じで装備が皆、充実し高価な物が多い。今からキャンプツーリングに出るようだった。僕はその横にカヤックをひっぱりあげ、荷物をかたすと雨で濡れた状態で汚いままであったが、カヤックを分解し、車に放り込んでいった。彼らは僕に特に興味も見せず、淡々と準備している。
■
そんな中、日本語で「オツカレサマデス~」と、声をかけられた。
びっくりして上を見ると一人の白人男性が僕の方を見降ろしている。
「ニホンジンノカタデスカ?」
日本人だといい、いまミルフォードサウンドをカヤックで漕いできたんだと言うと、このカヤックはお前のか?どこからここまで来た?などの質問をされ、僕も僕でどこで日本語を覚えたんだ?何しているんですか?と、お互い質問攻め。
彼はIといい、イスラエル人。
今はオーストラリアに住んでいて、2週間の休暇をとってニュージーランドに来ていると言う。数年前に3年間ほど日本に住んでいたという。神戸に友達がいると言い、そこでバスキングをして稼いでいたようだ。
クインズタウンからヒッチハイクでルートバーンシェルターまで来て、そこからルートバーントラックを歩いてミルフォードロードまで出て、そこからここまで歩いてきたという。ミルフォードトラックが歩きたく、テアナウ側からだと無理なのでこっちから逆に歩いていこうと考えたが、誰も舟を出してくれないので諦めたという。
当たり前だ。ミルフォードトラックは一日に歩ける人数が決まっており、その許可を得るには半年前くらいから予約しなくてはいけないほどの管理が行届いた、人気のあるトランピングコースである。ちなみにルートバーンも許可がいるが、彼はゲリラ的に歩いたそうだ。
それでケプラートラックを歩こうと思うからテアナウまで車に乗せてくれないか?と言うのである。
丁度テアナウに戻る所だったし、英語の先生も欲しかったところなので了解。人生で初めてヒッチハイカーを乗せることになった。Iは僕の荷物を詰め込むのを手伝い、僕は僕で助手席を整理し、人が座れるようにすると彼を乗せて、雨の降るミルフォードサウンドを後にした。
Iは日本語を話し、僕が理解できないと英語で話した。が、僕は英語がそれほど理解できないのでお互い最後に「?」を付けて常に疑問語で話をするという不思議な会話をしながら車を走らせた。途中、ガソリンがなくなりそうでテアナウまで持つか疑問だったのでホリフォードシェルターという辺境の地で通常の二倍の値段で$5分だけ給油し、テアナウに向かった。
帰路、何度も途中下車し、写真を撮っていた僕にIは「またかい…」と、かなりやれやれな態度をとっていた。仕方ない、写真が好きなのだから。
テアナウに着き、二人でDOCのビジターセンターに行き、明日からの天気予報を見ると絶望的に天気は悪かった。
「これじゃ、ケプラーは無理だよ。天気が回復するのを待っていたら今度は次の目的地に行けなくなるよ」
僕が忠告すると、彼はクインズタウンまで戻ると言いだした。僕はこの日、テアナウのキャンプ場に泊まる予定だったので、ここでお別れになるはずだったが、とりあえず腹が減ったからスーパーに行こうと二人でFresh choice(ニュージーランド南島にあるチェーンスーパー)に向かった。僕はバナナとスナック、コーラ。彼は食パンとピーナツバターというものだった。二人とも金がない。
この日の宿をどうするのかと聞くと、バックパッカーに忍び込んでシャワーだけ浴びてその辺で野宿するという。そして明日の朝、ヒッチハイクでクインズタウンに向かうと。無断でバックパッカーに忍び込んでばれないものなのかと聞くと、たいていの人間はやっているという。
「日本人はまじめだな~」
みたいな皮肉を言われ、金なんて宿や交通機関なんかに使うもんじゃないと、どこかで聞いたような事を僕に言い、僕にもこの作戦をおおいに薦めた…が、僕にはそこまでの度胸はない。しかし、テアナウのキャンプ場は高く、天気が悪いここしばらく、この街にこれといって用がない僕は泊まる理由もなかった。
別れの挨拶を切りだして荷物を背中にIが背負った時、僕は彼を引きとめた。
「どうせなら、今からクインズタウンまで行ってしまおう」
彼は驚いた様子だった。が、またヒッチハイクして向かうくらいなら俺が送っていった方がいいだろう、これも何かの縁だ。そう思って彼を乗せ直すと再びエンジンをかけ、ガソリンを入れてクインズタウンに向かった。予定では8時過ぎくらいには着くはずだった。
クインズタウンにはオークランドで会った友人がバックパッカーに泊まっていた。彼に連絡をとってブッキングしてもらうが、満室で無理なようだ。それこそシャワーだけでも浴びさせてもらい、車中泊することに。この時、Iもシャワーにありつけるだろうと提案すると、彼も乗り気になった。
テアナウからクインズタウンの道のりもなかなかのものだ。しばらく行くと天気も晴れ渡り、夕日がきれいに見えるほどになった。途中、やはり急に車を止めては写真を撮った。
南半球で冬至をやや過ぎたばかりのニュージーランド南島は、夜8時になってもまだ明るい。クインズタウンに着いた頃、やっと闇があたりを包む感じになっていた。車を公共の駐車場に泊めると、Iは荷物を背負い、シャワーはいらないと言ってここで別れると言った。
たった数時間だけだったが、オークランドからずっと旅をしていた女の子と別れてから一人で車に乗っていた僕には彼は印象深い人物になっていた。それにこれほど話をしたアジア人以外の人間も初めてだった。
「bajau、お前はカッコいいよ」
「haha, why?」
彼は何も応えを返さず、僕の目を見ながら熱い握手をし、街の暗闇の中に消えていった。
いまだに何がかっこよかったのかわからない。
そんなに英語ができないのに異国の地を一人で旅行しているからか?それともカヤックを一人で漕いでバックカントリーを旅しているからか?生真面目に金を払って旅をしているからか…。
一人で異国の旅を始めたばかりの僕には、彼との出会いには助けられた。
しかしそれと同時に、これから多くの価値観の違う人間と会わなくてもいけないということに、多少の不安も感じ、意味もなくワクワクもしていた。
何はともあれ、旅資金を作るのが当面の目標であったが…。