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西表島について

①地理


西表島は北緯24度15~25分、東経123度40~55分に位置。
八重山諸島(石垣島、西表島、竹富島、小浜島、黒島、新城島、波照間島、鳩間島、カヤマ島、与那国島)の一つで、周囲が129.99㎞、面積が284.44k㎡の島である。

ちなみに八重山諸島のうち、石垣島は「石垣市」、与那国島が「与那国町」、それ以外の島が「竹富町」という行政区分である。つまり西表島は竹富町である。しかし町役場は石垣島にあり(石垣市美崎町11)、役場がその町村の区域外に位置する町村は、竹富町以外には鹿児島県の十島村・三島村の二つしかない。


わかりやすく言うと、西表島は沖縄県で2番目に大きな島(一番は沖縄本島)で、沖縄本島那覇からは430㎞、台湾からは200㎞離れた場所にあり、与那国島に次ぐ日本の西の端である。
どのくらい西かというと日本標準時より約1時間時差があり、台湾に近い。そのため勝手にサマータイムが導入されているようなもので、日の出が遅く、日の入りも遅い。6月は20時近くでもまだ薄明るいくらいだ。
台湾の方が沖縄本島よりも近いのだが、さらに台北よりも西表島は南に位置し、100㎞南には北回帰線がある。11月から翌年5月いっぱいまでは南十字星が西表島からも見ることができる。
西表島がどれだけ日本とかけ離れているかが距離からしてもわかるでしょうか?

島のほとんどが山岳地帯(森林)で、最高峰は古見岳(469.5m)。それ以外にも300~400mの山稜が続いており、島を真横から見ると台形に例えられる。
沖縄県で一番長い川、浦内川をはじめ、仲間川、仲良川、クイラ川など大小さまざまな河川が流入していて非常に水系が発達している。この河川が台形の斜面を通る時に滝が現れるため、滝も多いです。

②気候


西表島は亜熱帯海洋性気候という気候に分類されている。
年降水量が2342.3mm。毎月の降水量は150mm以上は降ることから年間を通して雨が多い島である。ちなみに日本全国の平均年降水量は約1600mm。
雨が多いのは梅雨と台風の時期が降水量が高く顕著だが、11月~2月も雨の日は多い。ドカ降りではなく、シトシト降るのが冬の特徴。
湿度は年平均相対湿度が81%。年間を通して高くてとくに5~8月、梅雨時期は高い。梅雨など90%を越える日もあり、油断すると畳なり本なり、布地も物などすぐにカビが生える日が続く・・・。
7月から11月の間は台風が襲来することが多くなる。
冬は西高東低の冬型気圧配置になることで5m以上の北東風が吹き続けることになる。

こう書くと悲惨な島に見えるが、4月の「うりずん」の季節はカラリとした空気と程よい日差しが気持ちよく、台風が来ない7~10月は太平洋高気圧に覆われておおむね晴天が続き、海も凪ぐことが多い。
年平均気温は23.4℃。一番寒い1月でも18.2℃となっている。最高気温は高くても33℃ほどなのでアツいといっても現在の東京や大阪の気温に比べれば涼しい・・・。実際、太陽の下ではかなり熱いが日陰に入り、風が抜けるところは夏でも気持ちが良いです。
逆に冬は気温が高いものの、季節風が強く吹き付けるために体感温度は低い。

③生物相

◆植物

西表島は植物地理学上では旧熱帯植物区系界のマレー区域にあたり、この南支・台湾・琉球区系区にあたる。
何となく難しい感じになってますが、要は沖縄本島よりも台湾やフィリピンの植物相と類似しており、事実八重山諸島にそれらの北限がいる種が多いのです。

島のほとんどは亜熱帯降雨林にあたり、これは常緑広葉樹林、別名亜熱帯照葉樹林になります。
西表島の森林を歩いているとほとんどがオキナワウラジロガシやスダジイです。
落葉することがなく、もちろん紅葉もしないので見た感じは常に緑がある山になります。

◆動物

本州・四国・九州は旧北区(旧世界の北の地域)にあたり、主に氷河期にユーラシア大陸から朝鮮半島などを経て入ってきた種がほとんどです。
奄美諸島以南、琉球列島はとう東洋区にあたり、これはアジアの熱帯地域の生物になります。ちょうどトカラ列島あたりにその境界線があり、渡瀬線と呼ばれています。
さらに八重山諸島は宮古島も含める「先島諸島」にあたり、沖縄本島周辺ともまた異なる生物相を展開しています。

西表島の生き物はだいたい「オキナワ・・・」「リュウキュウ・・・」「サキシマ・・・」「ヤエヤマ…」「イリオモテ・・・」「イワサキ・・・」と紛らわしい枕詞が付きますが、オキナワは琉球列島全域、リュウキュウはオキナワと同じ意味で返還前に命名、サキシマは宮古・八重山のみ、ヤエヤマは八重山のみ、イリオモテは西表のみか最初に西表で発見された、イワサキは石垣島に住んでいた気象予報士の岩崎さんが発見した・・・という意味だと思えばほぼ間違いないです。

③歴史


西表島には仲間第一貝塚という貝塚があって、これが約3500年~4000年前の遺跡というので、その頃には人が住んでいたということです。

確かな記録は1479年に書かれた『成宗大王実録』によるものです。
西表島は南方系風俗に近い信仰や伝説が多く、古見、新城島、小浜島、石垣島の宮良の豊年祭に登場するアカマタ、クロマタなどの神様は日本の他の地域ではあまり見ないものです。

西表島の昔からの集落は祖納、干立、古見に残っているものだけで、あとは第二次世界大戦後に開拓移民などによって作られた集落がほとんどです。
理由は1531年に漂着したオランダ船によってマラリアが八重山に広がり、そのためごく一部の場所でしか人が住めない島になっていて、それが戦後薬剤を各水系に投入され1957年から4年間、米軍によるDDT水和剤の一斉散布によってマラリアは激減、1961年の大原で5名の患者が出て以来一度もマラリア患者はでなくなったそうです。この年にWHO(世界保健機関)からマラリア汚染地域の指定から解除されました。
マラリアの撲滅がその後の開拓を手伝ったともいえます。
現在は東部、西部と大きく分けられていて、東部が大原、豊原、大富、古見、美原(由布)。西部が船浦、上原、中野、住吉、浦内、祖納、干立、白浜、船浮の14の集落が存在します。各集落ごとに歴史があり、入植してきた出身地や目的など違っていて、各集落ごとの特徴をつくっています。

ちなみにバジャウトリップが現在ある大富は1952年に312名の入植者によって創立された集落で、主に竹富島、沖縄本島の大宜味村からやってきた人達が多かったので大宜見の大と、竹富の富で「大富」となったそうです。その他にも波照間島出身者も多いです。

④産業


西表島の人たちはどうやって生活しているのか?
島の産業は現在は観光と農業・畜産がほとんどです。
農業は東部地区ではサトウキビ、東部地区でも古見や美原では稲作が中心で西部ではパインアップル、マンゴーなどのフルーツ類で浦内から白浜にかけては稲作が中心となっている。
東部でサトウキビが作られるのは大原に製糖工場があることに由来する。近年では東部でもパインアップルが作られている。
また、クリカボチャ、ジャガイモ、ウコンなども最近では換金作物として作られている。

畜産は乳牛ではなく肉牛がほとんどで、それも石垣牛や八重山牛などの肥育牛ではなく牧畜によって仔牛を作り、肥育業者に売る畜産が主流。乳牛は西部で一カ所行っているところがある。

島といえば水産業が盛んに思えるが、西表島には漁協がなく石垣島と同じ八重山漁協の組合員になる。市場が島内になく石垣まで運ぶ運賃がかかるためなのかそれほど漁業は盛んではない。白浜が盛んで、祖納の隣には西表漁港も存在する。

観光はバジャウトリップのような個人事業者によるエコツアーから大手観光会社による団体バスツアーなどがあり、前者は夏季、後者は冬季にとくに人が集まる。団体ツアーは時に西表島の人口(約2300人)近い人数が一日のうちにやって来て、その日のうちに石垣に帰っていくということもある。

あとは学校や役所などの公務、仲卸や小売業、建設業や製造業、流通業などである。

過去の西表島の産業で、有名なのは炭鉱である。
1885年に三井物産によって始められて第二次世界大戦が終わるまでの60年間、採炭は続いた。
主に内離島で行われていたが、仲良川中流~下流域、浦内川にもあり、浦内川にあったのが現在も旧跡として見に行くことができる「宇多良炭鉱」である。
現在でも船浮湾などの砂浜には石炭が多数、打ち上がっているのを見ることができます。
詳しいことは白浜港ターミナルや宇多良炭鉱跡に行くと知ることができますよ。

もう一つあまり知られていないが過去の西表島は林業も盛んでした。
無人地帯で原生林が残っているイメージの強い崎山半島や浦内川流域、仲良川上流域などは一度山林が丸裸にされるほど木を切り崩している。場所によっては木を下すロープウェーの跡や滑車などが落ちています。
皆伐は免れたとしても、イヌマキ、オガタマノキ、フクギ、イジュ、コクタンなどは街路樹や庭木を除けばほとんど大木がない。皆有用樹種なため、伐採されたためらしい。
リュウキュウマツが密集して生えているところや整地されているところなどはそういう場所である確率が高く、原始の森というイメージの西表島もほとんどが二次林であるという事実は知っておいた方が良い。

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